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そもそも光の正体は何か?何から出来ていてどうやって届くのか? この疑問に対し、「光の正体は粒子である」と言う説と「光の正体は波である」との説が昔から闘わされてきました。
17世紀の末、イギリスのニュートンと、オランダのホイヘンスが、この問題に全く反対の立場から答えを出そうとしました。
ニュートンは、光は真っ直ぐ進み、物に当たったときその後にハッキリした影が出来ることから「光の粒子説」を主張しました。
つまり鉄砲の弾のように、光の粒が真っ直ぐ進んでくると言うイメージです。
それに対し、ホイヘンスは「光の波動説」を主張しました。
その根拠として挙げたのは、光が交差しても衝突によって飛び散ることなく素通りすると言う点でした。 粒子であれば衝突して散らばったり、方向が変わる筈だからです。
ホイヘンスの波動説は説明もしっかりしていたのだが、ニュートンの偉大さに影響され、また粒子説によって当時良く知られていた光についての現象(回折、屈折など)を、それなりに殆ど説明できた為、その後1世紀にも渡って粒子説が有力とされました。
ニュートン、ホイヘンスをそれぞれの代表選手として、光の粒子説と波動説が主張された訳ですが、その後、波動説と粒子説を裏付ける決定的現象(つまり相手側理論では、説明が付かない現象)が、双方の側から提起されました。
現在では光は、粒子と波の両方の性質を併せ持っていると理解されています。
粒子説では説明できない実験報告が、1805年(頃)イギリスのヤングによってなされました。科学史上に名を残す「※ 二重スリットの実験」です。
横に並んだ2本の、非常に狭いスリットに光を通してスクリーンに当てた場合、若し光が粒子なら直進してハッキリした2本の模様になる筈です。
しかし実際の実験結果は、多くの縞模様がスクリーンに現われました。
これは波の性質を現す「干渉」と言う現象で、粒子説では説明が出来ません。
これで光の正体は波である、と言う説が決定的になったかに思われました。
※ 二重スリットの実験は、更に洗練されて「一個の電子による二重スリットの実験」に繋がる。リチャード・P・ファインマンが「量子力学の精髄」と呼んだ程に美しい実験だと言える。
1888年、「光電効果」と言う現象が発見されました。
金属表面に光を当てたとき、電子が飛び出してくる現象ですが、これは光が粒子である場合にだけ考えられる現象です。これにより再び光の粒子説が復活しました。
アインシュタインは1905年、この光電効果について研究し定式化しました。アインシュタインはこの研究(光量子論)によってノーベル賞を受賞しました。
※ 1905年と言う年は後に、アインシュタインにとって「奇跡の年」と言われます。
この年、アインシュタインは後世に残る、「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を相次いで発表しています。
いずれも20世紀物理学の基礎となった重要な業績で、どの一つとっても個別にノーベル賞に値するものです。
一人の人間が、それも当時特許局に勤めていた未だ無名の若者によってなされた、これだけの研究達成はまさに奇跡です。
アインシュタインにとってのみならず、その内容からして、物理、科学一般にとっても「奇跡の年」と言えるでしょう。
アインシュタインと言えば「相対性理論」、相対性理論と言えばアインシュタインと言われる程、その関係は今では有名ですが、最初この「特殊相対性理論」に関する論文は大方に受け入れられなかったようです。
実際にノーベル賞の受賞も、上記のように「光量子仮説」 に関する論文に対してでした。
光電効果とその研究から得られた、アインシュタインの「光量子仮説」について、光の性質の本質に係わる問題でも有り、少し立ち入ってみます。
1888年発見された現象です。
真空中で、ある種の金属に波長の短い光(紫外線とかエックス線)を当てたとき、その一部が金属に吸収され、代わりに金属内の電子が外に飛び出す現象です。
電子は電気的な力で原子核に束縛されていて、通常は原子としての姿を保っている訳ですが、当てられた光のエネルギーによってこの束縛が切られ、電子が飛び出して来るのです。
従って光電効果が発揮されるには、或る大きさのエネルギーが必要になる訳です。
光電効果では次のような興味深い現象が知られています。
この現象は波動説では説明が付きません。
波動説では、光は次々と押し寄せてくる波のようなエネルギーの流れだと言う訳ですから、仮に波長の長い(つまりエネルギーの低い)光でも、明るさを増加させるか、充分に時間を掛ければ電子はエネルギーを蓄積でき、そのうち金属の外へ飛び出して来る筈です。
しかし実際は予想に反して、1や3の現象を示しました。
更に光が波であるとすれば、星のようにごく僅かな光ではエネルギーが有る程度蓄積されるまでは、眼に見えないだろうことが想定されます。しかし星は眼を開けた瞬間に見え、しかも徐々に明るく見えてくると言うことも有りません。
波動説では1 の現象と矛盾します。
又波動説では、電子が飛び出す波長域の光だけで考えても、光の明るさを強くすれば光全体としてのエネルギーは大きくなる筈ですから、飛び出して来る電子の運動エネルギーも大きくなる筈ですが、実際は4や5の現象を示しました。
つまり光を波として考えている限り、どうにも説明付かない現象です。
光電効果の不思議な現象を説明したのがアインシュタインです。
彼は1905年に「光は周波数(波長)に比例したエネルギーを持つ粒子(光量子又は光子)である」と言う、光量子論を発表して、この光電効果を解明しました。
つまり、
アインシュタインの光量子論によって、粒子・波動の二重性、つまり光は波と粒子の両方の性質を持つ存在として結論付けられ、粒子説、波動説論争に決着が付いた訳です。
ここで粒子・波動の二重性と言うのは、粒子としての光子が波のように振動しながら進むと言うことでは有りません。量子論的理解であって、我われ凡人には中々イメージすら出来ない世界です。
アインシュタインの光量子仮説は、それまで物理学者を悩ませていた「エーテル」の存在を想定せずに、光の伝達に説明を与えました。
つまり、光が光量子(光子)として粒々の存在で有れば、その伝達に媒質としてのエーテルは必要無くなるからです。弾丸やロケットのように、光も真空中を直接突き進んで伝達すると考えることが出来ます。
光を波と考えた時、どうしても想定せざるを得なかった媒質、エーテルの存在が、ここに否定された訳です。
現在、光は粒子と波の二つの性質を同時に持っていると結論されています。
つまりスリットなどで受ければ、波としての性質を示し、金属に当てた場合は粒子としての性質を示すと言うことです。そしてその前の段階では、光が波であるか粒子であるか分からないと言うことになります。
日常的な感覚からすれば極めて不可解な振る舞いですが、実はこの「粒子と波の二重性」は光に限ったことでは有りません。
電子等、ミクロな世界では全て粒子と波の概念が融合してしまいます。
この辺のことは「量子物理学」の問題です。
人間も物質として(当然)波としての性質を持っています。つまり波長を持っています。しかしその波長は短かすぎて先ず計れない。
波と見た人体が「ぼやける」度合いはごくごく僅か。
秒速1メートルで歩く人の波長は、10-35メートルしかなく、原子核の何桁も小さい。
(不思議な量子-ケネス・W・フォード著)参照