アナログとデジタル

デジタル-1
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コンピュータはデジタルだ」とは通俗的に良く言われることです。デジタルは勿論アナログと対になった概念です。
最初にこの「デジタル」と「アナログ」について考えて見ましょう。
Illustratorを理解する上で、例えば画像形式、圧縮などに深く関わってきます。
勿論パソコンを理解する上でも、次項で述べるビットと直接関わって来るなど、押さえておくと色々な局面で役に立つでしょう(…と信じたい)。

Illustrator講座、PC音痴駆け込み寺-共有


■ アナログとデジタルの概念

■ 連続情報と分離(離散)情報

アナログ(analog)とは、連続的に変化する物理量を表す概念です。 それに対しデジタル(digital)は、連続から切り離された離散的(バラバラな)データです。
デジタルは元々、指と言う意味を持つ「ディジット」の形容詞です。つまり1つ、2つと数字(自然数)で表現できるデータです。「数値化(コード化)されたデータ」と言えます。

■ 時間と時計

……と、これではなにを言っているのか分からないので、実際の「時の流れ」とそれを計測する「時計の表示」を材料に、このデジタルとアナログを考えて見ましょう。

「時間」は一瞬の滞りも無く、切れ目無く連続的に、一様に過去から未来に流れています。

(※ 相対性理論、量子物理学等、難しい問題を持ち出すと厄介なことになりますから、ここでは、ニュートン力学の範囲、つまり日常的な感覚で話を進めます)。

時間の流れ、はアナログ的な現象です。つまり「1つ」「2つ」と区切って数えることの出来ない量です。
この現象を数値で定義する事は本来不可能です。つまり連続的な現象を固定化して捉えることは出来ないのですね。

例えば、ちょっと考えただけでも………、

  • 「今は、3時21分15秒です」と言っても、連続して流れている時間の上ではその瞬間に過去の物となってしまいます。
    つまり定義内容と現実が一致することが有りません。

  • 切れ目無く連続的に流れている時間の、その瞬間を、たまたま人間が決めた「分」だとか「秒」等で区切ることは本来出来ません。
    一秒と言う時間区切りの中にも無限の瞬間が有るわけで、それを全て数値で表現し尽くす事は出来ません。
    つまりアナログ的な時間の流れを、完全に数値で定義する事は本質的に不可能なのです 。


※ 時間、と言ういかにも客観的な概念も、本来は「時空」と言われるようにこの世界の有り様と密接に結びついた概念らしいですね。
ニュートンは時間も空間も絶対的なものとして、世界の外側に言わば枠組みとして、絶対座標として存在していると考えたようです。…って、これは今でも私たちの常識的な感覚と一緒ですよね。

私たちは、枠組みとして「動かない」空間の中で、「均一に」進行する時間を、誰もが一緒にすごしている、と普通に考えています。
しかしこの「当たり前」で「常識的」な考えを大きくくつがえしたのが、アインシュタインの「相対性理論」です。

光のスピードで進むと時間も止まる、とか、止まっている人と動いている人とは時間の長さが変わって、「同時刻」と言う概念が成り立たない、とか、重力と加速度は同じもので(等価原理)、高いところに置いた時計と低いところに置いた時計では、重力の影響でその進み方がちがう、とか。
そもそもビッグバンに始まるこの宇宙のありさまと無関係に、要するにその外側に絶対的な基準としての時間と言うのは無いらしい。

例えば上記本文記述のように、「時間は、一瞬の滞りも無く、切れ目無く連続的に、一様に過去から未来に流れています」と言うことを、日常的に疑うことは全く有りません。しかし考えて見ると、今の瞬間、全ての時間が止まって1万年後に動き出したとします。でも私たちがそれを意識することは全く有りません。
時間が止まっている間は、そもそも1万年だとか1億年だとかと言う考え方が成り立たないのです。「止まっている時間」と言うのはそもそも論理矛盾で、本来「無い」んですね。

1億年だろうが10億年だろうが、止まっていた時間が再度動き出したとき、私たちは全く意識せずに時間が止まる前からの行動を継続するのです(筈です)。
同じように、時間の流れに「速い」「遅い」の波、不均等が有ったとしても 、やはりそれを意識することは出来ません。時計も同じように「速く」「遅く」進むでしょうし、我々の身体や意識、回りの環境もそれに合わせて進むでしょう。
本当は時間は、気まぐれに止まったり駆け足で進んだりしているのかも知れません。時間が逆に進む、つまりタイムマシンのように過去に戻らない限り(いや、その場合でも同じか)、我々は時間の気まぐれを一切意識することは出来ません。

つまり、時間は私たちの外側に、この世界と独立に客観的で「絶対的」な枠としてあるのでなく、我々のこの世界と共に、我々の意識を含む全ての運動と共に有るらしい。
時間が止まった時全ての運動が止まりますが、 全ての運動が止まった時、時間も又停止します。
物質の運動の外側に、それと無関係で経過する時間と言うのは無いんですね。

これは相対論的な時間概念のホンの一部です。
又、一般相対性理論は、重力を「物質の存在による空間の歪み」 として、物質そのものを時空とひと繋がりのモノとしました。
だから重力無限大のブラックホールの中では、時間も止まっているそうですよ。

量子論を含む 現代物理学によれば、時間も運動も物質も、全て相互に浸透している世界がイメージされているようです。


……… まっ、それは兎も角として、実際に時間に対する「感じ」は、我々の生活感情と無関係には論じられません。
江戸時代(江戸時代にいたことの無い人は落語などで感じてください)では、一時(いっとき)と言うと今の2時間位のことを言いました。つまり2時間を一時と認識していたんですね。そう言うペースの生活だったんでしょう。
今は「ナノ秒」だとか「ピコ秒」なんて単位で時間が論じられています。

しかし今でも、恋しい人を待っている間の1時間と、逢って分かれるまでの1時間では明らかにその長さが違います。

では「時計」は、この時間の流れをどう計測、表示しているのでしょうか
時計には「アナログ表示」の時計と「デジタル表示」の時計が有りますよね。


アナログ時計■ 「アナログ表示」

アナログ時計は、針の動きで時間を表示する方法です(できれば秒針も、ステップ式でなく、連続回転式の方が理解しやすいですね)。

実際の時間の経過を、針の連続的な回転で、そのまま表現しています。

デジタル時計■「デジタル表示」

これに対し、デジタル時計は、「時、分、秒」を、液晶等で、「数字」により表示します。
つまり連続的な現象を、有る間隔(時間、分、秒等)で区切り(これをサンプリングと言います―後述) 、区切られた部分毎に値を予め定められた細かさで丸め(量子化といいます―後述)、数値化(符号化といいます―後述)します。

つまりアナログとデジタルは、「連続情報」と「分離情報」 の違いです。


■ アナログのデジタル化(AD変換)

連続情報であるアナログデータのままでは、コンピュータで扱うことは出来ません。何故なら「時間と時計」で見たように連続情報は本来数値で定義できないし、数値化できないものをコンピュータでは扱えないからです。

コンピュータで扱うにはデータを予めデジタル化しておく必要が有ります。
アナログデータを、連続から切り離し、個々の塊としてのデジタルデータにする作業を「アナログデジタル変換(AD変換)」と言います。
手順として、「サンプリング」「量子化」「符号化」の過程を取ります。

具体的な手順については項を改めて詳述します。

■ アナログとデジタルの現象

■ 離散的データ

このようにサンプリング、量子化によって得られた分離データを、「離散的データ 」等と呼びます。 連続から切り離され、ばらばらにされたデータ、と言う意味です。
あまり、こなれていない言葉ですがデジタルの本質を良く表した言葉として、この講座でも頻繁に使います。
「離散的データ」と「離散的データ」間の連続情報は無視されます。
つまりアナログ時計は針の位置を読み取ることで、中間の時刻もある程度判別出来るのに対し、デジタル時計では表示された値よりも細かい情報は知る事が出来ません。

そもそも、デジタルデータは”離散的”ですから、「8時20分」と「8時19分」、或いは「8時21分」の間に何の連係も有りません。 「今、8時20分です」、或いは、「今8時19分です」と言う、バラバラな情報だけです。
デジタル時計をパッと見て「8時20分」を表示していたからと言って、それがたった今切り替わった8時20分なのか、或いはもうすぐ8時21分になるのか、秒の表示が無い限り、それだけでは全く分からないのです。

それに対し、アナログは連続データですから、「8時20分からどの程度経過しているか」、と言う中間情報を保持・提供します。
つまり今の時刻をバラバラに表示するだけでなく、「8時20分は8時19分から、60秒経過した時間だ」と言う連続情報を持っているのです。
これは必ずしも秒針を必要としません。長針の位置を読み取るだけでも、ある程度はそのデータに接することが出来ます。 つまりは、連続的・中間情報を持つアナログデータならではのことです。

※ 入学試験などの際、「時計はデジタルよりアナログの方が良い」とは良く聞く話です。
これは、「今現在の時刻」より、「試験開始後の経過時間」或いは「終了迄の、残り時間}を直感的に理解しやすいからでしょう。


■ アナログとデジタルの現象(サンプリングとコード化)

電灯のスイッチをON、OFFした場合、当然電灯が点滅するのが分かります。 これを早く繰り返したら(良い子の皆さんはやらないで下さい)どうなるでしょうか。
実は家庭に流れている電気は交流ですから、手でスイッチングするまでも無く常に点滅(ON、OFF)を繰り返しています。 それが分からないのは、その点滅が早い(東日本は50Hz、西日本は60Hz)為です。

砂浜は当然砂粒の集まりですが、少し離れて見れば一粒一粒の砂は見分けられず、全体として砂丘の風景として見えます。

このように有る程度以上に細かく分割された(サンプリングされた)離散的データは、人間に取って個別に認識することは出来ず、連続的なものとして感じます。
逆に言えば、連続的なものとして認識される現象で有っても、要素としてのデータが「個別・離散的」である限り、それは数値としてコンピュータで扱うことが可能だと言うことです。

 


時間の流れ、電流の流れ、電圧の変化、カラー濃度の変化、温度の変化など、全て連続的なアナログ現象であるとされます。しかしこの認識は全て我々の日常的なスケールでの話し、つまり古典物理学(ニュートン物理学、マクスウェルの電磁気学など)の範囲の話です。
現代物理学の二本柱は、相対性理論(相対性理論については、上記、時間 で少し触れました)と量子論ですが、量子論的世界、つまり超ミクロの世界では、純粋にアナログ的な現象は存在しません。
電気の流れは、目で見る水の流れのように連続的な流体と思われていますが、その正体は、非常に小さな荷電粒子である電子の流れです。つまりは離散的な粒々の現象です(勿論水の流れも、水分子単位の粒々の現象です)。

1900年の、マックス・プランク(1858〜1947)による「エネルギー量子」の提唱が量子論の直接の幕開けとなりました。
光の正体は電磁波と呼ばれるエネルギーそのものですが、エネルギー量の変化も連続的なものではなく、「エネルギー量子」と呼ばれる、塊 としての離散的な現象だと言うことが分かってきたのです。

ただこの塊の大きさを特徴付ける、プランク定数(h=6.63x10-34 ジュール・秒)が、非常に小さいので、私たちは日常的にそれを、無限に小さい連続的な現象として疑わないのです。
このプランク定数 h が、0 のとき量子力学は、ニュートン力学に帰着する訳ですが、日常的なスケールから言えば、h=0 とみなして全く問題はありません。つまりニュートン力学で考えてなんら差し支えないのです。
現にロケットの打ち上げや衛星の軌道、或いは日食や月食などの計算は、全てニュートン力学に依拠していますし、それで全く狂いなく初期の目的を達成できますし予測できています。

しかし電子や光子など、ミクロな素粒子レベルではこのプランク定数=h が無視できない値となって、マクロな日常的レベルとは全く違った物質の振る舞いを見せるのです。
それが「量子論」的世界です。

プランク定数とともに「プランク長(10-35 )」と言う数値もある。
プランク長は核物理と重力の研究で名高い、アメリカの物理学者で誠実な、ジョン・ホイーラーがプランクに捧げた用語である。
「ブラックホール」と言う言葉もジョン・ホイーラーだし、コンピュータの全ての分野に顔を出す「ビット」の概念を提唱したのも又、ジョン・ホイーラーである。


■ デジタルは40億年の昔から

デジタルと言うと何か凄く新しい技術の様に思いがちですが、実は昔から使っているのです。

例えば「のろし」。
煙で情報を伝える伝達方法ですが、この場合煙が「上がった」か「上がっていないか」だけに情報の意味が有ります。 煙の量が多いか少ないか等、中間情報(連続データ)はどうでも良いのです。
モールス信号も「トン」「ツー」だけのデジタル情報です。 或いは算盤もデジタル的計算ツールですね。

何より我々を含む全ての生物が持っている遺伝子DNA、これは言わばA,T,G,Cの4文字で表現しているデジタル情報です。
この後説明しますが、デジタルの特徴の一つが、情報を劣化させずコピーできることです。 生物は生まれた瞬間からこの特徴を取り入れ、デジタルで 遺伝情報を伝えて来たのです。

■ デジタルの長所と短所

次にデジタルとアナログについての特質を、長所と短所と言う角度で見てみましょう。

■ 情報が劣化しない

例えば「のろし」で考えると、のろしの煙の「量」を問題にし始めたら見る人の主観で判断が違って来ます。 のろしを上げた人の意図が、見る人に正確に伝わるとは限りません。
或いはのろしを上げる立場からしても、煙の量を制御するのは大変なことでしょう。

そんな事を繰り返して順次送っていったら、「量」の情報など、どんどん不確かなものになって行く筈です。
量にこだわらず、只「上がった」か「上がっていないか」だけのデジタル情報だから、人の主観や操作の手違いが入り込む余地が極めて少なく、次々に伝達しても正確さが失われないのです。

※ しかし煙が、「上がったか」「上がっていないか」だけでは、送られる情報量が限られるのも確かです。
例えば、「敵兵が攻めて来たかどうか」と言う情報だけなら、煙を上げる、上げないで対応出来ます。しかしどの程度、つまり敵兵が多数か少数かという情報までは伝えられません。

この場合、煙の量の多・少で対応するのでなく、もう一本のろしを立てれば良いのです。つまり、未だ敵兵が見えないうちは煙無し、攻めてきたけど少数の場合は一本、多数の場合2本、と言うことにすれば対応出来ます。
この、のろしを増やすことで、送る情報量を増やすと言う考えが、後述するビットの概念です。

又、計算尺と算盤を考えて見ましょう。
計算尺は目盛りを合わせて計算するアナログ計算機です。目盛りの中間にあわせてその値を推測することも出来ますからね。
これは目盛りそのものの精度が重要です。 目盛りのつけ方がいい加減だ、などと言うのは論外ですが、目盛りが磨り減ったり消えたりしただけでも、計算の精度に大きく影響します。

それに対し算盤は、仮に珠が少しくらい傷ついたり形が欠けても、ともかく珠が有れば、出る答えの精度に影響は出ません。
これは、中間情報によるノイズの影響を受けにくい、と言うことです。

■ データの一元化

アナログ信号はそのデータ毎に、それを処理するデバイス(装置)がそれぞれ専門分化しています。例えば音声信号はオーディオ機器が、映像はビデオ機器が扱うと言う具合です。
デジタル化とは、これら様々な情報を全て数値化し、 今まで専用の各種デバイスで扱っていた個別のデータを、一元的にコンピュータ で扱う事が出来る、と言うことでも有ります。
実際に最近のパソコンは、それ一台で、音声(音楽CDの録音・再生、DTMでの音楽処理等)、画像(このサイトで扱っている情報一般)、映像(デジタルビデオでのデータ処理、DVD録画・再生、それらを含め映像一般)全てを扱えるようになっています。
逆に現在、TV等一般家電とされてきたものがデジタル化され、幅広い機能を持つようにもなっています。

■ 情報の精度に限度が有る

デジタルの短所として、情報精度の限界が上げられます。
上記「時計」で述べたように、実際は無限の連続データの中から、サンプリングによって有限個の代表値を取り、後のデータは切り捨てています。切り捨てられたデータには、従って接することが出来ないということになります。
「アナログレコード回帰派」の人たちが、CDでは音楽の深みや味が出ない、等と言うのは、若しかしたらこうした理由からかも知れません。

■ 装置の単純化

上記に関連して、「装置の単純化」と言うことが挙げられます。
アナログのレコードプレーヤー(今では見た事の無い人もいるかも知れませんね)とデジタルのCDプレーヤーで見てみましょう。
レコードプレーヤーは、レコード盤に刻まれた溝の凸凹を針でなぞり、その凸凹を電圧の高低に変換し、それをスピーカーのコーン紙の振動に変えて空気の振動としています。
従って、レコードの凸凹情報を精密に走査することが出来れば、それだけ忠実に原音を再生できる事になります。しかもその凸凹情報は、連続的なアナログ情報ですから、精密さ、と言う点でキリが有りません。その為、限りなく精密で高価な機器が求められることになります。

しかし、CDの場合、そこに記録されているのはビット(ビットについては、次項「2進数」で詳述します)の、有限個の情報です。或る程度の性能を持っている機器であれば、その有限個の情報を余すことなく読み取ることが出来ます。また読み取れなかったら、デジタルにおいては役に立ちません。

これは時計でも同じ事です。
アナログの機械式時計の場合、正確な時刻表示は機構が複雑・精密になり極めて高価なものにならざるを得ません。しかし水晶発信デジタル時計は、離散的で有限個の水晶振動データを拾えさえすれば良いのであって、今や数百円の時計でも正確さに置いて遜色が有りません。


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